オランダの野望

オランダ王国 ― 日本語ではオランダと呼んでいますが、これはオランダの中心に位置する「Holland(ホラント)」州の名前が、ポルトガル語の「Olanda(オランダ)」として伝わったもので、本国での名称は「Nederland(ネーデルラント)」。英語では「(The) Netherlands(ネザーランズ)」と言いますね。この「Nether」は「underneath(アンダーニース=下に)」や「beneath(ビニース=下に)」の「neath」の兄弟で「低い」という意味。国土のおよそ半分が海面下というオランダの地勢を表しています。首都の「Amsterdam(アムステルダム)」は「Amstel(アムステル)」川の「dam(ダム=堤防)」、南西部の港町「Rotterdam(ロッテルダム)」も「Rotte(ロッテ)」川の堤防を意味し、これらの地名も水と戦ってきたオランダの歴史を語り継いでいます。

ところが英語の形容詞形は、名詞形とは似ても似つかぬ「Dutch(ダッチ)」(参考:「ローマへの道」)。ゲルマン人の一派である「Teuton(チュートン)」族の名に由来するこの単語は、当初はドイツを含む広い範囲の人々を表していたのですが、次第にオランダ人に限定して使われるようになりました。つまりドイツ語でドイツ人を指す「deutsch(ドイチ)」と同じ語と言えます。ところがどっこい、日本語の「ドイツ」という呼び名は、オランダ語の「Duitsland(ドイツラント)」に因むというから、どいつがドイツなのか、ちょっとややこしい関係になっています。

オランダは小国ながら、17世紀から18世紀にかけての黄金時代には海洋国家として世界中に進出し、各地にその足跡を残しています。オーストラリア南東の「Tasmania(タスマニア)」島に名を残すオランダ人探検家「Tasman(タスマン)」のおかげで、オーストラリアはしばらくの間「Nieuw Holland(ニーウ・ホラント=新オランダ)」と呼ばれていましたし、「New Zealand(ニュー・ジーランド)」の国名は、彼の出身地である本国の「Zeeland(ゼーラント=sealand(海の国))」州に因みます。また、今では世界金融の中心地となった「New York(ニュー・ヨーク)」市は、最初の入植者はオランダ人であり、かつては「Nieuw Amsterdam(ニーウ・アムステルダム=新アムステルダム)」と呼ばれていたことは有名です。市内の黒人居住区「Harlem(ハーレム)」もオランダの都市「Haarlem(ハールレム)」を懐かしむ入植者たちに命名されました(一雄多雌の状態を表す「harem(ハーレム)」は別単語です)。オランダ語ではありませんが、「Wall Street(ウォール・ストリート)」は、オランダ人が先住民やイギリス人からの防衛用に築いた「wall(ウォール=壁)」に因みます。

そしてなんとオランダは、日本の中心である東京駅のすぐそばにまで進出しています。その痕跡が、日本に漂着し、家康に重用されてこの地に屋敷を構えたオランダ人「Jan Joosten(ヤン・ヨーステン)」の名がなまった地名「八重洲(やえす)」です(参考:「マイケルさん七変化」)。


おまけ ― オランダの地名として、違う意味で有名なのがハーグ郊外のリゾート地「Scheveningen(スヘフェニンゲン)」。何気なく聞くと「スケベニンゲン」となります。「ニュー・スケベニンゲン」として日本に輸出されなくてよかった… (;^-^A