ボリビア・ペルー旅行記(その4) 〜 マチュピチュ

 いよいよ、今回の旅のメイン、マチュピチュへ向けて出発です。クスコからマチュピチュ行きの列車を途中(104km地点と呼ばれるところ)で降り、今はトレッキングルートとして整備されているインカ道を歩いて、山の向こうにあるマチュピチュを目指します。
 ただいま休憩中。Nao Tourのガイドのトモさんとお客さんのひろ子さん、それに便乗している、ともさんの友達でペルーに遊びに来ている森久保さんと僕ら2人の総勢5人で歩きます。
 インカトレール途中にある、ウィニャワイナの遺跡。なぜこんな山の斜面に...
 上から見たウィニャワイナ。段々畑と住人の家の遺跡です。まさに天空の城ラピュタの世界...
 マチュピチュを見下ろすインティプンクに到着!左の鞍部に見える茶色っぽいところがマチュピチュです。標高は2300m。クスコより高いところにあるイメージがありますが、クスコから川を下った、ジャングルの入り口に位置します。1911年に発見された時はすっかり緑に覆われていて、空からも谷からも見えない状態だったそうです。手前の斜面にぐにゃぐにゃと走る茶色の線は観光バスのための道。発見者の名をとってハイラムビンガム道路と呼ばれています。
 マチュピチュと言えばやはりこのアングルからの写真でしょう。遺跡の奥にそびえる山はワイナピチュ(「若い峰」の意)で、よく見るとワイナピチュの山頂近くにも段々畑が作られています。なぜこんなところにまで、と思いますが、ここでは太陽神にささげるための作物を作ったのではないかと言われています。以前はワイナピチュに登ることも出来たのですが(1時間くらいで登れるらしい)、近年山火事があり現在は禁止されています。かなり緑が復活してきているので、来年にはまた許可されるのではないでしょうか。
 マチュピチュから隣の山を望む。一応、虹を撮ったつもりです。行ったことはないですが、中国の桂林を思わせる風景が広がっています。でも桂林は花崗岩、マチュピチュ付近は安山岩で出来ているとか。なんと、安山岩という言葉はandesite(アンデスの岩)をむりやり日本語にしたものだそうです(これもクイズに使えるなぁ)。
 この日はビルカノタ川沿いのアグアスカリエンテスまで降りて安宿に泊まり、翌朝またバスで上がってきました。
 トイレの遺跡(と言われているところ)。実はトイレがある建物は遺跡内にここしかありません。そのため、ここには身分の高い貴族が住んでいたのではないか、と考えられています(農民は畑でした)。でもたまに観光客のう○ちが転がっていることがあるそうです(-_-)。
 太陽の神殿を説明してくれているトモさん。神殿に空いている2つの窓は、夏至の日と冬至の日の日の出の方向を指していると言われています。でも以前トモさんが遺跡でこっそりキャンプして確認したときは、ちょっとだけずれていたのだとか。
 この隙間は地震の際に出来たそうなのですが、よくよく見ると石と石の継ぎ目が平面ではなく、ねじれていることがわかります。こうして石組みの強度をあげているのだとか。中には下の図のような石組みもあるとか。

インカの人たちの石に関する技術にはほとほと感心させられます。
 ワイナピチュをバックにインティワタナ近くの石。何の変哲も無い石ですが、この石はマチュピチュ遺跡周辺の地形をあらわす地図ではないかと言われています。そういわれるとそうかな、と思いますが、こじつけのような気もしないでもない。でもこのような地形をあらわす石はあちこちのインカの遺跡(オリャンタイタンボなど)で見つかっているそうです。
 マチュピチュ遺跡中心の広場より。バックの山が遺跡の名にもなっているマチュピチュ(老いた峰)です。
 同じく広場より。青い空に遺跡が映えます。
 家の遺跡。石組みは神殿や貴族の家ほどきれいではありません。壁から突き出している「石釘」は屋根を固定するために使います(屋根は植物で葺きます)。