聖書のみことば

普段気付かずに使っているけど、実は聖書に由来する言葉を集めてみました。

「猫に小判」と同じ意味で使われる「豚に真珠」。日本の諺と思われがちですが、実は聖書の一節 「神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚になげてはならない。」(マタイによる福音書、7章6節)に由来します。

「目には目を」もやはり聖書から。 「骨折には骨折を、目には目を、歯には歯をもって人に与えたと同じ傷害を受けねばならない。」(レビ記、24章20節)とあります。でも「目には目を」と言うと「受けねばならない」というよりは「与えてやる!」という文脈で使うことの方が多いですね ^_^;)

「目からうろこ」の表現は、イエスが彼を迫害していたサウロの目を見えなくし、数日後再び見えるようにする場面「すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。」(使徒言行録、9章18節)から生まれました。今の時代、目からうろこのようなものが落ちてしまうと逆に目が見えなってしまいますけどね(コンタクトレンズ!)。この後、サウロは回心して洗礼をうけます。ここでちょっと脱線しますが「うろこ」に関してもう一つ。旧約聖書に「水中の魚類のうち、ひれ、うろこのあるものはすべて食べてよい。しかしひれやうろこのないものは一切食べてはならない。それは汚れたものである。」(申命記、14章9-10節)という掟が出てきます。欧米の反捕鯨運動はこの文の影響もあるようです。(以上参考:『英訳聖書入門』)

ところでプロテスタントの聖職者を「牧師」さんと呼びますが、なぜ「牧」なのでしょうか?英語で牧師のことを「pastor(パスター)」と言います。この単語のもともとの意味は「羊飼い」。「牧場」を意味する「pasture(パスチャー)」や郊外のマンションの名前によく使われる「pastoral(パストラル=田園の)」と同根です。聖書の中でイエスが「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」(ヨハネによる福音書、10章11節)のように人を羊に喩えていることから、人を導く聖職者も「羊飼い」というわけです。種痘の発明者であるフランス人の「Pasteur(パストゥール)」の先祖も牧師さんだったのでしょう。というわけで、この「pastor」を意訳したのが日本語の「牧師」という言葉なのです。因みに現代英語では羊飼いのことを「shepherd(シェパード)」と言います。日本人にとっては牧羊犬の名前ですね。

最後に強烈なやつを一つ。「Onanie〔独〕(オナニー=自慰)」という言葉は、旧約聖書の登場人物「Onan(オナン)」の名に因みます。「オナンはその子孫が自分のものとならないのを知っていたので、兄に子孫を与えないように、兄嫁のところに入る度に子種を地面に流した。」(創世記、38章9節)。だからホントは「膣外射精」のことなんですね。このあとオナンは神によって殺されてしまいます。カトリックはこの部分を「精子を無駄にしてはならない」と解釈してコンドームなどを使った避妊を禁止しています。(参考:『聖書アラカルト―性―』)

(引用資料:『聖書 新共同訳(日本聖書協会)』)